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清い関係です!

今日は延期になってた遠足で、
万博公園へ。



いつも長居公園をウォーキングしてたらいっぱい遠足に出会って、
あぁ、ご苦労様ですって思ってたけど、
まさか自分がもう一度遠足の引率するとは思わなかったなぁ。

楽しかったよ。

でも、疲れた。

やっぱトシだね。


帰ってきて保護者面談を1軒。

親御さんはいろいろと悩んではる。

懐かしいと言ったら失礼だけど、
2か月とは言え、
責任ある仕事をしなければと思った。

その面談の最中に卒業生から電話。

「センセ、まだ学校にいる?」

高校生の女の子からだった。

ぼくが復帰したことを知って、
会いに行く!って言ってたけど、
もう学校に来てるらしい。

和やかに面談を終えて、
彼女と会ったのが5時前。

「もうちょっと待ってて!」

と慌てて残務を終わらせ、
ファミレスへ。

彼女はケーキセット、
ぼくは・・・・。
生ビール!
「悪いが煙草吸わせてくれ」

制服姿の高2の彼女と、
今度は進路面談だ。

ぼくなど毒にも薬にもならないんだけど、
進学か就職か、
選択肢が多過ぎるほど優秀だからこそ、
あれこれ迷っている彼女に、
1時間余り、ぼくなりの話はした。

結論、
人生、どんな選択をしても基本は運。
それがよかったのかどうかの検証もできないし、
やり直しはいくらでもきくから、
ギリギリまでのんびり考えな。

だって、
彼女はまだ16歳。

そんな頃、ぼくは何にも考えてなかったよ。


それにしても彼女きれいになったなぁ。
前に会ったのは数か月前だったと思うのに、
このトシの女の子って・・・・。

一方ぼくはおっさん丸出し。

まさか援交でファミレスに来るヤツはいないと思いつつも、
レジをしながら、
「また呑もうってお母さんに言うといて」

レジの人に聞こえるように言った。

メッチャ小市民。
自分でも、笑うな。

でも、ホントに彼女のお母さんとも飲み友達で、
久々に呑みたいんだよねぇ。


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肩凝り

長年、きつい肩凝りに悩んできたぼく、
昨年は全く肩こらなかったんだよ。

でも、働き始めて、
凝ってます。

肩に力が入ってるのかな?

忙しいながらも、
楽しくやらせてもらってるんですけどね。

週休2日

1年7か月、「サンデー毎日」だったぼくの、
久々の「休日」。

思い切りダラダラ過ごしてしまった。

現役時代も大抵そうだったよな。

労働者の特権と言っておきましょうか。

戻ってみて

復帰2日目。

今日はささやかながら、
河童復活記念パーティーを、
いつもの沖縄居酒屋でって誘われた。

ても、
河童引退記念パーティーを何度も開いてくれてる、
いっつものメンバーなんだけど、
違うもんだね。

引退してたときは一緒に呑んでても、
身体の中を流れてる時間が違ってしまったって感じてたけど、
今日は同じになってる。
シンクロしてる。

あぁ、ぼくは現場に戻ったんだって、
おかしなところでしみじみ感じた。

彼ら彼女らにそんな時間の流れなんてわからないだろうに、
ありがたいよね。
何かみんな、
ぼくの復帰を喜んでくれてるみたい。

ただ単に、
穴が埋まっただけの話でもないみたい。

自分にどれだけの価値があるのか正直わからんが、
少なくとも、
全くなくはないんだろうね。

退職するときには、
雲か霞みたいに消えて行こうと思ってたけど、
引っぱり出されての僅かな復帰。

それを喜んでもらえるなら、
こんなに幸せなことはない。

自分にも価値があったんだって、
実感できることはすっごくうれしいことだったんだね。

引っぱり出されたんじゃない。
与えてもらった時間なのだと思った。


姿をみせい!

長い旅をしていても感じた。

これはただの偶然、
ただのラッキーじゃない。

誰かが、
何かが、仕掛けてやってくれてることだって。


今日、
ぼくの1年7か月ぶりの現場復帰、
その今日から、
ぼくが最後に卒業させた子たち4人が、
中学校の職業体験で小学校に来た。

「ええっ! センセ、なんでここにおるん!!!」
「いや、実はさぁ・・・・」

久々の現場で不安だったぼくは、
彼女らの笑顔にとっても勇気をもらった。


そんな初日の模様を
カッペにを語りながら晩ご飯食べてたら、
何年かに一度連絡をくれる卒業生から、

「今、晩酌しながらセンセの学級通信読んでるねん」

もう20年近くも前の卒業生からだ。

「ええっ? 実はぼく今日からな・・・・」

すぐに電話がかかってきて長話になった。

「なんで今日やねん?」
「わからん、掃除してたら学級通信出てきて・・・・」


そんな友美からのラインも、
中学生の職業体験も、
ついでに言えばぼくが教育委員会に行ったときに、
バッタリ会った旧友のことも、
全てはたまたま。

偶然。

でも警察は、
偶然がふたつもみっつも重なったら、
それは誰かがはかった事件だと認定する。

ま、ぼくの方の話に事件性は全くないのだが、
ぼくが現場復帰することになってから、
誰かが仕掛けたって言うか、
まるでぼくの現場復帰と同時に、
何かが動き出したようにさえ感じてしまう偶然の連続。


そんなの思い過ごしですよ。
あるいは、ただの思い入れですよ。

そうかもしれない。

でも、
旅の途上でもいつもそうだったけど、

これは誰か知らないけど誰かが、
きっとぼくのために仕掛けてくれている、
ぼくを祝福してくれている。

そう思えるのは、
誰に何と言われようと、
とっても幸せな気分だ。

旅の神様?
亡くなった両親祖父母?
教育現場の神様?

誰だか知らないけど、
誰かさん、ありがと!

幸せです。

初日

出勤初日、無事終了。

職員への挨拶、全校児童への挨拶、
そして学級へ。

やっぱりいいなぁ、
子どもたちの前に立つって。
この感覚は職業病かな?

ぼくは1日で、
37名の顔と名前を覚えようと懸命。

子どもたちにはトシだからと許しを得ておいたが、
現役の頃は新しいクラスでも、
1日で全員を覚えてた。

今日も何とか覚えきった。
よくできました!

って、トシの怖いとこは、
忘れるのが早いってことだよね。

もしかしたらひと晩寝たら、
明日はまた一から覚え直し、
だったりして。

授業の勘は衰えてなかった。

でも、
「センセ、今日は何ページからですか?」
って、
「悪いけど、それはこっちが訊きたいわぁ」


ともあれ、
窮地を救ってくれたと、
何人もの先生から感謝され、
緊急登板ということであったかい配慮もしていただき、
子どもたちは可愛らしいし、
これなら何とか2か月、
がんばることができそうです。

こんなぼくでも、
まだ誰かのお役に立てるならね。

でも、
さすがにちょっと疲れたな。
今日も早く寝なくては。




復帰

おはようございます。

体調は上々。
お天気も上々。

1年7か月ぶりの現場へ、
今から出勤してきます。

ちょっと緊張してるかなぁ。

行ってきます!

SFの世界?

かつてアメリカを放浪した時、
ま、2~3日しかいなかったからよくわからないけど、
サンフランシスコは落ち着いた素敵な街だった。

LAから深夜バスで早朝にSFに着き、
バスディーポー(ターミナル)の前のベンチで、
ぼくは睡魔に負けて、
たまらずにリュックを枕に居眠りをした。

治安の悪いアメリカの、
無防備なベンチで眠った経験は、
それがアメリカに渡って数日後のことだったので、
ぼくにかなりの度胸を与えてくれた。
あの経験がなかったら、
臆病なぼくはその後アメリカにいる間中、
もっとビクビクしてたと思う。

サンフランシスコ居眠りは、
ぼくにとって画期的なできごとだったのだ。

だから早朝のサンフランシスコの景色はよく覚えている。

ダウンタウンの真ん中の噴水にカモメがいたこと。
有名なケーブルカーが心地よかったことも。


ところで、
大阪市とサンフランシスコ市は姉妹都市である。

そのサンフランシスコ市の市有地に、
従軍慰安婦像が建ったということで、
大阪市は姉妹都市契約(?)を破棄すると言っている。
60周年記念の年を前にして。

その像が建っている土地も像自体も、
元々民間のものだったが、
土地ともども市に寄付されるのだとか。

で、11人の市議の半数が賛成したら、
土地も像も市の持ち物となり、
そうなったら大阪市は姉妹都市をやめるという話だ。

慰安婦像に関しては
撤去を求める前にすることがあるだろう!
という個人的見解を持っているが、
そのことはここでは置いておく。

新聞記事を見て驚いたのは、
サンフランシスコ市の市議が11人ということだ。

何かの特別委員会なのかと思ったけど、
調べてみたら全議員で11人。

マジか?

サンフランシスコ市の人口はざっと770万。
大阪市は270万。

ちなみに大阪市会議員の数は86人。

おまけに、
これはあくまでネット情報であるが、
サンフランシスコ市議は月給5~6万、
殆どボランティアなのだと言う。

システムが違うんだろうから、
その数字だけでとやかく言うつもりはないけど、
驚きの数字たちではある。

何も知らないままに無責任なことを言うと、
そんな市議にならなってみてもいいなと思った。

鉄人

昨日の朝、
新聞を開けたら、
あら!

源太郎おじさん!

IMG_5394.jpg

ぼくは縁戚関係に全くうといが、
カッペの伯父さんに当たる人らしい。
マスターズの有名人であることはよく知っていた。

もう長い間お会いしてなかったし、
もう危ない、なんて話も聞いてたけど、
お元気だったんだ。

100歳まで生きるなど、
ぼくには想像もつかない世界だが、
63歳なら2年後だ。

100メートルを14秒って、
脚には自信のあったぼくだけど、
絶対あり得んわ。

すごいすごいとは思っていたが、
源太郎おじさんはそれどころじゃなかったんだな。

どうぞ、これからもお元気で!





ご無沙汰!

久しぶりにスカッと晴れたよね。

そして久々に、
姿を見せてくれました。



元気だったんだね、
ベティーちゃん!

安心したよ。

明日からまたしばらくは会えないんで、
今日、会えてよかった!

光明

今日の夕刊で見つけた読者投稿。



恐れ入った。

右翼と左翼の構造が同じであることまで、
彼は見切っている。

たった16歳で。

恥ずかしくないか大人!

ぼくは恥ずかしくなった。

引く手あまた

教育委員会に行ってきた。

ぼくは組合活動家の時代、
教委とは丁々発止闘ってきたもんだから、
ここに来ると条件反射的に肩に力がこもってしまうのだが、
もちろん、
今回、抗議や交渉に来てるわけじゃない。

事務局員さん、
まぁ、何とも丁寧なご対応。

「本日はありがとうございます」
お礼まで言われた。

それもそのはず、
大阪市ではぼくのような臨時講師が決定的に足りないのだ。

書類チェック、面談、
何の問題もなく、
ぼくの現場復帰が決定した。

あとは別施設で健康診断を受けるのみ。

事務局の部屋を出たら、
廊下でバッタリ友人と会った。

かつての同僚で、
20年来の遊び友だちだが、
今や委員会のえらいさんになってる。

「河童さん、こんなところで何を?」
とビックリの彼。

かくかくしかじか。

「えーーっ! 河童さんが復活ですか!
 ありがとうございます」

またお礼を言われた。

現在、育休や病休の臨時講師は、
学校側が要望を出しても50人待ちなのだそうだ。

ありがたいことに、
ぼくのように60歳超えてても、
喰いっぱぐれはないのだ。

「河童さんが復帰するとは思わなかったけど、
 今回が終わっても引き続きお願いしますわ」

いやいや、
それは勘弁だが、
お金に困ったらいつでも働き口があるって、
恵まれた話だよね。

できればこれを最初で最後にしたいけど。


毒ガスの島

『母と子でみる17 毒ガス島』(草の根出版会)を読んだ。

広島県の大久野島をご存じだろうか?

ぼくはもう20年以上も前に行ったことがあるのだが、
そこが毒ガス島である。

1930年ごろから極秘で毒ガス製造が始まり、
一般の地図からはこの島が消されてしまったという。

国際法で禁止されていたにもかかわらず、
日本軍は日中戦争などにおいて、
毒ガス兵器を大量に使用したという資料が発見されている。

岡田藜子さんは14歳のとき、
学徒動員で大久野島に送られた。
もちろん、
何の作業をさせられているかは全く知らされないままに。

多くのミドルティーンたちが動員され、
漏れた毒ガスや事故のために、
その後何十年も苦しみ続けている人もいたという。

岡田さんは戦後、
独力でこの島のこと毒ガス兵器のことを徹底的に調べ、
自分が戦争加害者でもあったことに痛恨の念を抱き、
当時の様子を「絵語り」という形で自費出版した。

そしてそれを被害国にも送付したそうだ。

一方、国はというと、
大久野島でなされていたことをひた隠しにし、
この島での作業で後遺症を患った、
軍人、軍属たちには補償を行ったそうだが、
動員学徒はその限りにあらず、
だったという。


今、大久野島には国民休暇村ができ、
うさぎが群れ遊ぶ島として観光地になっているが、
大きな負の遺産であることに変わりはない。

工場跡などが遺っているのだが、
被害の歴史である原爆ドームとはちがい、
朽ちるにまかされているようだ。


あと数時間で選挙の結果が報道される。

自虐史観だ何だと言って、
都合の悪いことはなかったことにする、
そんな政治家がまた沢山当選するのだろう。

過ちは過ちとしてきちんと責任をとる、
そんな当たり前の話を理解できる議員は、
そのうちいなくなってしまうのかもしれない。

また恐ろしいことが繰り返されてしまうのだろうか・・・・。





アメニモマケルカゼニモマケル

選挙に行ってきた。

そうそう、先日、
大阪府では6選挙区に20人の候補者って、
嘘を書きました。
ごめん、大阪市の間違いでした。
府は19選挙区、60人余りです。


さて、結構な雨と風。
これもよくない方向に作用するんだろうね。

でも、少なくとも大阪では暴風雨というほどでもないし、
これで投票率が下がるなら、
それもこの国の民度の低さだからしょうがない。

投票所の中で、また行き帰りの道で、
かなりキョロキョロしてみたんだけど、
10代らしき人はひとりも見かけなかったな。

選挙速報など見るまでもない。

今日の空と同様に、
この国のこの先も暗くて重いだろう。


選挙に出たらよかった?

なんとなんと、
超零細ブログとしては記録的な反響!

ちょっとびっくり。
てか感激しました。

ぼくなんかが現場に復帰するだけで、
こんなにいっぱい思いを伝えてくれる人がいたなんて。

ありがとうございます。
ホントにありがとうございます。

皆さんの思いに少しでも応えられるよう、
がんばります。


実は退職してから何度か、
現場に復帰している夢を見た。

でもその夢は決していい夢じゃなかったのね。
例えばクラスの全員がぼくにそっぽを向いてるとか、
寝起きの悪い夢ばっかりだった。

ところが今回の話が来る数日前、
ホントに久しぶりに、
現場復帰の夢をみた。

そしてその夢では、
復帰したぼくはとってもうれしがっていた。

1年半たってもこんな夢見るんだぁって思ってたけど、
何かの先触れだったのかな?

でも、やっぱり落ち着きません。
ちょっと緊張しています。

でも、がんばります!

リークがすごい!

え? 何なんだよ?
ちょっと恥ずかしいし、
こっそりって思ってたのに・・・・。

娘たちにも話す前に、
てか、
学校で校長と話して帰ってきたら、
早くも何通かメールが来てた。

「復帰おめでとー!」って、

「はやっ!」

「だって、ニュースで流れてたよ」

んなアホな。

ま、空疎な選挙演説流すよりはまだ価値があるかもしれないけど、
悪事千里を走るってか?

はい、わかりました。
打ち明けます。

今月下旬から、
期間限定ですが、
現場に復帰することになりました。

今までその手のお話は全部、
丁重にお断りしてきたし、
もし再び働くことがあっても、
別の仕事をって思ってた。

でも、
さんざん世話になった最後の職場で、
呑み友だちでもある元同僚たちが窮地だっていうなら、
残念ながらそれをお断りするほど、
ぼくはクールになれなかった。

お金のためじゃないよ。
まぁ正直なとこ、
これでまた旅に出られるとは思ったけど、
ぶっちゃけ不安は大きいです。

伊達さんや真央ちゃんと比べるのは失礼だけど、
彼女たちも不安は大きかったんじゃないかな?

現役を離れて1年7か月。

いつも現役の若手たちが呑み会に誘ってくれてたけど、
そのたびに、
もうぼくの中を流れる時間は現役の人たちとは違うんだって、
痛感してた。

ぼくはもう、
1年半前のぼくじゃない。

確かに新卒のぺぇぺぇとは違うんだろうけど、
この間、「旅人」としてのスキルは多少上がったんだろけど、
もう「大御所」と言われたぼくじゃない。
そのことは誰よりも一番、
ぼく自身がわかってる。

月曜日、
教育委員会に行って手続きしてくるけど、
まだ健康診断が残ってるんだよ。

それではねられたら、
なかった話。

でも多分、
このままの流れだと、
ぼくが結核じゃなかったら、
ぼくは再び黒板の前に立つ。

大丈夫かな?
大丈夫だよ。

不安な自分にそう言い聞かせながら、
ワクワクしてる自分はごまかしようがない。

その一方、
泰平の眠りをたたき起こされ、
やれやれ、とも思うんだけど、
まだぼくに存在意義を認めてくれる人たちに感謝する。

現役時代、
「河童カラー」「河童イズム」「河童マジック」
いろいろ言われてきた「個性派俳優」だった。

でも、今回はあくまで中継ぎ当番。

カラーだのイズムだのは全て封印し、
担任の1年間の「試合」を壊さないよう、
何事もなく務めを果たすよう心がけます。


最近、風邪だと思うけど咳がひどいんで、
あくまで、
結核じゃなかったらの話だけどね。


追伸;
 25日に初めてお会いする約束をしてた琴乃さん、
 本当にごめんなさい。
 そのキャンセルだけはとっても残念です。


黒船騒ぎ

泰平の眠りを覚ます蒸気船
    たった四杯で夜も眠れず

これはペリーの黒船が来航したときのざれ歌。

上喜撰という高級な、
カフェインの強いお茶があってね、
蒸気船と上喜撰をかけてるわけよ。

って、
6年生の担任をする度に教えてたっけ。


江戸幕府ほどではないが、
ぼくもこの1年半余り、
泰平の惰眠をむさぼってきた。

好き放題に自由気ままに暮らしてきた。

ところが昨日、
ぼくにも突然黒船がやってきて、
これはえらいこっちゃ!になった。

ぼくの場合の黒船は、
4隻の艦船じゃなくて1本の電話だったんだけど。

これはえらいことである。

どんなえらいことかというのは、
落ち着いたらまた書くわ。

えらいこっちゃ!





星の流れに

大阪府では
6つの選挙区に20人の候補者が立っている。

新聞社のアンケート調査によると、
そのうちの2名が何と、
安倍政権の森友・加計問題への対応に、
〇をつけている。

あきれるので名前を挙げておく。

1区 大西宏幸 自民
4区 中山泰秀 自民


先日、
与党の総裁が来阪し、
テレビが大きく報道していた。

有名人を見て興奮し、
必死で手を振る烏合の衆・・・・。

この人たちには、
首相でも嵐でもAKBでも、
何でも一緒なんだろうなと感じた。


マスコミは自・公の圧勝を予想している。

10月5日に
「選挙の結果がだいたい見えたわ」
と書いたが、
その通りの情勢。


とってもわかりやすい大衆、
とってもわかりやすい政治屋たち。

甘ったるく活舌の悪い、
総裁の勝利宣言の文言までわかっちゃうよね。

それがこの国。


ふと、
古い歌を思い出した。

♪星の流れに身を占って
 どこをねぐらの今日の宿
 荒む心でいるのじゃないが
 泣けて涙も枯れ果てた
 こんな女に誰がした

「女」を「お国」に変えて口ずさんだ。

姿を見せて!

今日は久々に雨が降らなかったのに、
スズメさんテーブルのパン粉は
全く手つかず(くちばしつかず)のまま。

どっか遠征してるの?
田んぼの稲を食べてるの?

淋しいよ。

明日はお米をまいてみようかな?

いずこへ?

ぼくが旅に出ていた間も、
カッペが代わってスズメさんに餌をやってくれていた。

でも明らかに、
ウチのテラスを訪れる回数が減ったんだよね。

ここのところは雨も続いたし、
ほとんど姿をみていない。

餌がそのまま放置されている。

近頃はパン粉しかまいてないからなぁ。
あちこちで稲が実って、
そっちの方を食べに行ってるのかな?

この近所には田んぼなんかないんだけど・・・・。

負うた孫を祝福したおばあちゃん

ぼくの母、
つまりチッぺやサッペのおばあちゃんは、
幼稚園の先生だった。

そして母は、
チッぺと誕生日が一緒で、
サッペの誕生日に亡くなった。

幼いチッぺとサッペを育てたのは、
もちろんぼくなんかじゃなく、
カッペでもなくて、
おばあちゃんだった。

心から愛した孫ふたりに、
母は平等にプレゼントを遺してくれたのだろう。

母の亡くなった夜、
きっとそうすることを母は望んでいるからと、
棺の前でサッペの誕生日を祝い、
バースデイケーキを食べたっけ。


ところで保育士免許取得について、
サッペからこんなこぼれ話を聞いた。

母のあとを継ぐとも言うべき保育士の試験は、
なんと4月22日、23日だったのだそうだ。

23日がサッペの誕生日、
そして母の命日!

「だから手ごたえはなかったのに、
 (合格という)ミラクルが起こったかな。
 おばあちゃんが受からせてくれたんやと思う」

とサッペ。

それはミラクルじゃなくて、
運命的な祝福だと、
ぼくは返信した。

「物語が書けそう?(笑)」

そんなん、
あまりにドラマチック過ぎて、
物語にしたら嘘くさいわ!


とりあえず明日、
母の眠るお寺に報告とお礼に行ってこようと思う。

負うた子に教えられる歓び

サッペは頑張り屋だと思う。

そして、人知れず目標に到達するのが好きらしい。

あれは大学を出て働きだした頃か、
ある日突然、運転免許とってきた。

教習所へ行ってるのなんか、
誰も気づいてなかったよ。

ふたりの息子が乳児を卒業したら、
学校司書の資格を取りに行って、
これは大阪まで講座を受けに来てたから
内緒ってわけにはいかなかったけど、
その資格で今は仕事をしている。

さらに、
これはまたこっそりだったんだけど、
サッペは保育士の国家資格をとった。

今日、免許が送付されたそうだ。

img_5373(2).jpg


子育てしながら家事しながら仕事しながら、
新たなことにチャレンジして毎日懸命に勉強。

我が子ながら、
凄いなぁと思った。

親バカですけど、誉れである。


そこへ、
「私もやってみよかな? 難しい?」とチッぺ。

おいおい、それは・・・・。

学力はサッペよりチッぺの方ずっとが高い。
いわゆる「できがいい」のはチッぺだ。

サッペはそんな姉の重圧を、
少なからず感じて生きて来たはずだ。

そんなサッペが必死で頑張って成し遂げたのに、
それをみんなで讃えてるのに、
今、追いかけるようなこと言わんでも・・・・。

もしぼくやったら、
それは絶対気分悪いわ。

でも、サッペは、

「お姉ちゃんにも勧めようと思っててん。
 自分が勉強してるとき、
 お姉ちゃんならもっと楽しく理解して勉強できるんやろなーって、
 思ってた。
 職に就くにしても絶対あたしより向いてるしな」

目頭熱くなった。

いつの間にこの子・・・・。

ぼくなんかを軽く超えていた。

免許取得も凄いけど、
人間としてまた大きくなったサッペが、
ぼくの胸を思い切り打った。

親バカで結構。
ぼくは娘を誇りに思います!!!

サッペ、
改めて、おめでとー!!!
うれしいです、ホントに・・・・。





久々のメグ

秋の夕暮れもそろそろの4時前、
メグから突然の
「今日何しとる? 飲みに行かん?」

もちろんメグは今、
呑めない立場なんだけど、
「いいよ。どこで何時?」

5時前から大正区の沖縄食堂で呑んだ。

「河童、近頃なかなか大阪におらんじゃろ。
 ブログ読んだら今日はおったけん」

あは、もう当分おるよ。

久々にメグと二人で呑む。
これはもう約束されたくつろぎの時間。

長旅の話や38年ぶりの再会の話をメグは聞きたがり、
ぼくは彼女のお腹が気になった。

「で、どっちなん?」
「女の子らしい」
「やった!」

彼女は1月末に母になる。
ぼくはメグには女の子を生んでほしかった。
もちろんプリンちゃんのこともあるけど、
そんなことより何より、
桁外れな女には桁外れな女を再生産してほしいと思うのだ。

これまでなら朝まででも呑んでたけど、
今日は自制して3時間。


10年ほど前、
新任のくせに「大御所」のぼくに、
何の前ぶれもなくいきなり、
「負けんけぇねぇ」と挑みかかってきたメグ。

ありがたいことに、
それ以来ずっとぼくを追い続けてくれている。

「わしも60になったとき、
 河童みたいになりたいけぇね、
 負けられんのよ」

「俺、そのとき91歳。
 もし生きとったら、周りにメッチャ迷惑かけてるわ」

彼女をバス停まで送りに行ったら、
京セラドームの方から、
若い女性のとんでもない波がこちらに向かってきた。

あちゃー!

あとで調べたら、
防弾少年団って、
一度も聞いたことのない韓国アイドルのライブだったらしい。

帰りの電車はもみくちゃかぁ。

ま、自衛隊や米軍にもみくちゃにされるよりは
多少マシやろ。

別れ際、恒例のハグしながら、
「お前さ、ホンマにシュン君でよかったよな」

「ホンマじゃ。シュン君でよかったぁ!」

ぼくのような人間が言うのもなんだけど、
やっぱ夫婦は互いを大切に思い合ってるのがいい。

メグはのろけなど言えないが、
彼女の話を聞いてたら、
ホンマにシュン君に支えられてることがひしひし伝わってきた。

彼女がシュン君を支えてる感じは、
全くなかったけど・・・・。


幸い、
防弾少年団のファンは他市、他府県から押し寄せてきたのか、
殆どが大阪駅方面に向かっていた。

環状線逆向き、
天王寺方面のぼくはもみくちゃにされずにすんだ。

それが若い女性であろうと自衛隊員あろうと、
もみくちゃにされたくないのは同じこと。

それくらいトシをとった。

でもメグはこれからである。

メグは初めて会った頃と比べて、
かなり人間に近づいてきた。

相変わらず「一般」とか「普通」にはなれないが、
そうなったらおもしろくもなんともない。

シュン君と出会ってようやくメグは、
いい意味で人間になり始めた。

そしてメグはもうすぐ母になる。

誰もがそうならないといけない訳じゃ決してないけど、
メグの場合は、
母になった姿を是非とも見てみたいし、
とんでもないけどすごい母になると思う。

シュン君、大変だと思うけど、
たのんますわ!

レスキュー爺はいつでも出動するからさぁ。


プリンちゃんお疲れ様!

今日はプリンちゃんの、
雨天延期になった運動会だった。

また11時間余りのローカル線旅で、
応援に行こうかな?
という気持ちはあった。
撮影係がいないっていう話だったしね。

波に乗って第四弾?

それとも、
それは調子に乗り過ぎって話?

迷ったけど結局、
プリンちゃんのもうひとりのおじいちゃんおばあちゃんが
応援に来られるってことだったので、
それじゃ、自粛してお任せしよう。

でも、今日は全国的に悪天。

プリンちゃんの保育園では、
先週のこーちゃんの幼稚園みたいに、
みんなでスポンジで雨水吸って、
無理矢理開会したらしいけど30分で閉会だったとか。

おじいちゃんおばあちゃんも来られなかったらしい。
プリンちゃんの出番も1回きりだったんだとか。

IMG_5372.jpg

あぁ、でも、
たった30分のためにでも、
11時間かけて、
ぼくは行きたかったなぁ。

プリンちゃんの初運動会、
行ったらよかったなぁ・・・・。

ぼくは闘ったけど戦士じゃなかった

晩ご飯のとき、
テレビを指さしてカッペが言う。

「お父さんと正反対やね」

何かと思って画面を見たら、
定年後に居場所のない企業戦士たちの、
特集番組だった。

みんな、困っておられるようだ。
懸命に模索しておられるようだ。

へぇー、と思う。

カッペの言う通り、
少なくともぼくは退職後1年半余り、
時間を持て余したことなんかない。

もちろん、忙しくしてる訳でもないが、
ぐうたらだからなのか、
鈍感だからなのか、
あえて何もしない定年後を選択し、
それを存分に謳歌している。

近頃どこでもやたらに高齢者のグループを見かけるが、
ぼくは同年代の年寄りと集まることもない。
基本ひとりが好きだし、
若い友だちもいっぱいいてくれるから。

まぁ、この先どうなるかはわからないけど、
今のところ、
お金はなくても時間のある暮らしを満喫している。

本と音楽とパソコンと、
それに安い酒があれば、
とりあえず必要条件は満たされる。

毎日スズメさん、ときどき孫、たまには貧乏旅・・・・
十分条件もそろってるよ。

今のぼくには、
ぼくなんかよりお金はあるだろうに、
することがなくて時間も居場所もない人がたくさんいるなんて、
不思議でしょうがない。

きっとぼくは、
自分でも気づかないところで、
いっぱい恵まれてるんだろうけど、
もしかしたら、
「企業戦士」がキーワードなのかもしれない。

企業戦士は、
しなければならないことがなかったり、
到達すべき目標がなかったり、
形に表れるものがなかったりしたら、
しんどいのかな?

それは経験したことないからわからんが、
改めて、
いい仕事に就かせてもらってたのだと思う。

ただその仕事も年々企業化されてきて、
そこで働く人にも子どもたちにも、
ひどく険しい状況になってきてるけど・・・・。

第三弾 そーこーも教え子も街道をゆく

帰る日の決まっていない旅 第二弾
「プリンちゃんも街道をゆく」は
5名の方に配信させていただきました。

失礼ながら、
懲りない人というはいるもんですねぇ。

第一弾を読んでいただいた上で、
第二弾も、なんて、
心から御礼申し上げます。


第三弾「そーこーも教え子も街道をゆく」を、
書き終えました。

第一弾、第二弾を読んで下さった方には、
もう自動的、強制的に配信させていただきます。

煮るなり焼くなり、はできませんが、
捨てるなり無視するなり、
お好きになさってください。

もちろん、
その他にもご希望の方がいらっしゃいましたら、
喜んで配信させていただきます。

但し、第三弾は、
いろんな場所を歩き回った訳じゃないですから、
とりわけ面白くないですよ。

それだけは断言しておきます。



生活の柄

今朝、目が覚めた瞬間、
「ここはどこだった? 今日はどこへ行くんだった?」

まだ目も開ける前に、
瞬時にそんなことを考えて不安になり、
あぁ、家にいるんだった、
と安心して目を開けた。

今日だけじゃない。
旅から帰ったらしばらくの間、
いつもそう。

旅先ではそんなことないんだよ。

多分、
今どこにいてこれからどこへ行こうとしてるか、
常に意識の中にあるからだろうね。

旅先ではそれだけ気が張り詰めている。

日常、のんべんだらりと過ごしてるもんだから、
その緊張感が心地よいのかもしれないな。

ただ、日常と言えば、
このところ旅という非日常の方が、
日常になっていた。

最初の長旅を始めた日から、
一昨日帰ってきた日までが79日間。
そのうち55日、
ほぼ70パーセントが旅先だったんだよね。

日常と非日常がひっくり返っていた。

前の旅を心の中で咀嚼し終える前に、
次の旅へ。

そんなことを繰り返して、
一気に思い出を詰め込み過ぎたから、
ひとつひとつの思い出が希薄になっているような気もする。

ぼくのように旅人と言えない人間にとっては、
少し飽食が過ぎたかもしれない。

もちろん、全ての旅に満足してるし、
全く悔いることなんかないんだけど、
旅はやっぱり、
非日常にとどめておいた方がいいのかもしれないな。

ふと、そんなことを思う昨今であります。

「再会」国立公園

昨日は智子が佐世保を堪能させてくれました。
そーちゃんと同じ1年生のケンちゃんも、
可愛くアシストしてくれる。

まずは佐世保湾や佐世保市街が一望できる、
素晴らしいロケーションのホテルで、
ランチバイキング。
眺望が美味しさを後押ししてくれる。

続いて、
西海国立公園の名所、
九十九島へ。

ツクモジマじゃなくて、
クジュウクシマって読むんだって。

ケンちゃんもぼくも大好きな水族館を楽しみ、

IMG_5357.jpg

こんな船に乗って、

IMG_5154.jpg

九十九島めぐり。

IMG_5166.jpg

いやぁ、松島以上にいいなぁ。

さらに智子は展海峰という、
展望スポットへも案内してくれる。

IMG_5366.jpg

春の海みたいに少し霞んでたんだけど、
正に絶景。

いつかは行ってみたい五島列島が見えた!

ロックオン!
必ず行くから待っててよ。


こんなに佐世保を満喫させてくれながら、
智子はぼくにお金を払わせてくれなかった。

持つべきものは「教え子」ですか。

本当にありがとう、智子。

38年の時を超えた再会、
初めての佐世保、
ぼくは身体中に幸せを詰め込んで、
福岡空港へ向かったのだった。



衝撃のバーガー 後編

美味しかったし、
懸命に食べたが、
5分の3でギブアーップ!

マットじゃなくてお腹を叩いた。

智子に報告のメールを送ったらすぐ返事が来た。

「もしかしてレギュラーをお求めに?
 スモールではありませんね?
 お教えしておけばよかった。
 スミマセン!
 レギュラーはウチの主人でも無理かと。
 でも、奥様と召し上がれるのでよかったですね」

おぉ、例によって何の土産も買っていないので、
佐世保バーガーの食べ残しをお土産に。

って、そんな話じゃない!

ぼくの聞き取れなかった×××って、
スモールだったのか!

だからお店の人は親切に、
「大きい方ですね」って念を押してくれたのだ。

って、親切じゃねぇ!

サイズ見本とか写真とか置いとかんかい!
ぼくが見落としただけかもしらんけど、
そんなこと全くの想定外だったぼくが無知だと言うのか?

あ!

そう言えば、
カウンターにデカいバンズと可愛いバンズが、
平べったい雪だるまみたいに積まれてたっけ。

でも、
それがサイズ見本だなんて、
どこにも表示されてなかったし、
明らかに佐世保バーガー初心者のぼくに、
何の説明もなかったぞ!

これ、何のお遊びだ?って思ってた。


でも、
智子が説明しておいてくれなくてよかった。
お店も説明してくれなくてよかった。

説明されてたらぼくは絶対にスモールしか買わなかったし、
そしたらこんな衝撃的なバーガーに出会うことはなかった。

スモールの値段を知りたかったとは思うけど、
マジ、レギュラーでよかった!

これこそ旅の醍醐味だからさ。






衝撃のバーガー 中編

マクドと違って、
オーダー受けて焼き始める。

ふたりが立てば満員になる小さな店だったので、
「外でお待ちください」

はいはい。
ということで製造過程は見ていない。

結構待たされた。

「お待たせしましたー」

呼ばれて、
店に入り、
差し出された包みを見て、
あ然!

デカっ!

お持ち帰り用の包みなので、
真実の姿はわからなかったが、
あまりにもデカい。

そのデカさにおじけづき、
その後、福岡空港へのバスの中で、
お腹はすいてきたんだけど、
リュックにしまったあのデカい包みを開ける勇気は出なかった。

午後8時半、
搭乗ロビーに落ち着いて、
エアの中で食べるのもはばかられる感じがしたので、
あまり人のいないベンチを選んで座り、
恐る恐るリュックを開け、
佐世保バーガーを取り出した。

開けてみたら、
こんなだった。

IMG_5369.jpg

何分、世間の目をはばかっているもので、
そそくさと平面的な写真になってしまったが、
これ、100円マックの4倍はあるよぉ・・・・。

衝撃のバーガー 前編

ただいま!

11時51分、
佐世保より帰宅しました。

佐世保二日目の幸せは、
明日、いえ、もう今日ですが、
寝てから報告します。

今夜は衝撃を受けた佐世保バーガーのお話。

ご当地何とかにあんまり興味のないぼくが、
佐世保バーガーを食べようと思ったのは、
佐世保での時間がとっても素敵だったからだと思う。

夕方、
佐世保を出るときにはお腹がすいてなかったんだけど、
福岡空港からのエアは9時20分発だし、
もし空港で売ってたら買おうとも考えたんだけど、
売ってなかったら後悔しそうだったから、
駅前のお店に入り、

「佐世保バーガー、テイクアウトで」

「ありがとうございます。
 レギュラーか×××か、どちらにしましょう?」

×××の部分が聞き取れなかった。

いいよ、レギュラーで。
Lとか特盛とかいらんから。

「はい、大きい方ですね」

いや、レギュラーって言ったんだぞ。

「レギュラーです!」
と接客係が焼き方に言う。

間違ってはいないようだが、
「大きい方」ってどういうことなんだ?

「950円です」って、

高っ!

佐世保バーガーって、
そんなに高級な品だったのか。

ロマン街道

智子(仮名)さん、
待ちきれなかったのかな?

7時の予定が6時半に前倒しで、
ホテルまでご家族でお迎えに。

38年の時を超えた再会は、
いやぁ、こんなん、
電車の中で向かいの席に座っても、
わからんわぁ。

ちっちゃかった眼鏡の智子が、
菅野美穂似の素敵な中年女性になっていた。
智子の目に、
23歳からタイムスリップしたぼくは、
どう映ったんだろう。

実直そうなダンナさんと健太郎くんにも、
初めまして!

なんとなんと、
ダンナさんのご実家がお鮨屋さんなんだよねぇ。

回らないお鮨屋さんに入ったのって、
一体いつ以来なのか全く思い出せないよ。

お座敷に通され、
好物である松茸の土瓶蒸しまでついた、
超豪華なお鮨会席フルコース。

智子は懐かしい写真をいっぱい持ってきてくれていた。

ぼくはぼくで山口に行く前に、
うちの納屋の中から智子の学級のタイムカプセルをほじくりだし、
写真と子どもたちの詩集を持参していた。

ふたりの持ってきた写真の中に、
同じ写真があったよぉ。

懐かしい話に花が咲き、
智子とダンナさんのなれそめなども聞いてたら、
なんと、
おふたりが初めて会ったのが、
ぼくの今泊まっているホテルの、
レストランだったんだとか。

佐世保にホテルが1軒だけという話じゃないよ。
駅前にはいっぱい並んでる。

そんな中でねぇ・・・・。


これはただの偶然ではないのかもしれないと思った。

ぼくが彼女に送ったという手紙も持ってきてくれていたが、
それに同封していたというチッペの写真。

IMG_5353.jpg

このチッペとプリンちゃんと三人旅をしている間に、
ぼくの手紙を見つけた智子がぼくをFBで探し、
ぼくを見つけてくれた。

そのときは佐世保に来ることなんて思いつかなかったけど、
きっとそのときから、
ぼくが佐世保まで来ることは、
既に約束されていたのだと今夜思った。

いきなり大阪から佐世保はさすがにないが、
ちょうどそんなときに、
山口のこーちゃんの運動会があったから、
そこからなら佐世保は「旅人」河童にとっては、
すぐそこだった。

全ては偶然。
でも、
ロマンだよね。

女城主やせごどんとは桁の違う、
たった38年の、ほんの小さな、
誰も知らないロマンだけど、
実はかなり壮大なロマンなのだとぼくは思った。

7月からのぼくの旅が、
この再会につながったのだと思った。

さ、飲むよ!


第三弾?

そーちゃんこーちゃん家族に小倉まで送ってもらい、

IMG_5350.jpg

「また来てね~」と手を振ってもらいながら、
バスを乗り継いで3時間半。

佐世保にやってまいりました。

今回はこーちゃんの運動会の応援が目的だったし、
こーちゃん宅に3泊させてもらって、
旅とは言えないかもしれない。

でも、山口からどうするか、
帰る日も決まってなかったんだよね。

ま、秋芳洞に三人旅したし、
佐世保にも来ちゃったし、
一応第三弾ってことにしときましょうか。

門司、小倉、天神とめぐって佐世保についたけど、
2か月前の懐かしい景色ばかり。

旅を重ねてきたんだなと実感。


さてと、
佐世保を訪ねたのは、
既に予告してたけど、
38年の時を超えるため。

38年前、
ぼくが教員1年生だったときの、
「教え子」だった智子(仮名)に会うためだけにやってきた。

8歳だった彼女と、
23歳だったぼくとが、
46歳と61歳になって、
2時間後に再会です!

これはもう、わくわくだよねぇ。


ちなみに帰る日は決まりました。

どうしようかなと思ってたけど、
もうお金もないし、
明日福岡空港へ行って、
5490円のピーチで大阪へひとっ飛び。

ローカル線で11時間かけて山口まで行ったけど、
それよりずっと安く帰れちゃうんだよね。

そう言えば第一弾の旅のときも、
最後は石垣からひとっ飛びで帰ったっけ。

ここまできたら五島列島とかにも寄りたいところだけど、
ここは我慢、自制、自粛。

旅はしたいけど、
「教え子」に会いに来たんだから、
会ったら帰る。
それでいいんじゃないかな?

さすが秋芳洞

今日はそーちゃんこーちゃんと
半日三人旅。



バスで1時間ほどだというので、
秋芳洞へ。

IMG_5099.jpg

著名な鍾乳洞評論家のぼく(ウソ)だが、
何故か今日まで、
この日本屈指の鍾乳洞を訪れたことがなかった。

正直、ワクワクである。

吸血コウモリがいて、
血を吸われたらバットマンになってしまうという、
ぼくたちの冗談に、
こーちゃんはビビっていた。

IMG_5109.jpg

秋芳洞は、
これまでの鍾乳洞感を覆すほど、
凄い鍾乳洞だった。

まずは入り口までが、
青森の奥入瀬(おいらせ)渓流みたいだ!

中に入ってみると、
おぉ、

IMG_5118.jpg

壮大である。

ごうごうと流れる川が豪快である。

しかし、
ライティングとか、
もう少し考えた方がいいんじゃないのか?

IMG_5114.jpg

IMG_5127.jpg

ちょっと営業努力が足りない気がするぞ。

それに、
全く同じ道を1キロ行って帰ってくるって、
これも工夫が足りない気がする。

ま、それでも、
そーちゃんこーちゃんも、
そしてぼくも、
とっても満足した半日旅なのであった。

IMG_5122.jpg





こーちゃん万歳!

今日は晴れるという予報だったのに、
湯田温泉地方は朝からジャジャ降り。

昨日から既に決行宣言していたM幼稚園、
でもさぁ、これ無理ちゃう?



園庭の地面見えてないよぉ!

それでも、
あくまでやりますM幼稚園!

開始を40分遅らせ、
職員から保護者からみんなが
スポンジやら雑巾で雨水吸い取って、
何とか開会にこぎつけた。

で、こーちゃんですよねぇ。

まだ年中さんだけど、
園内最速の噂もあるという・・・・。

どれどれ、
元陸上部のおじいちゃんが見てあげましょう。

よーい、ドン!

ありゃー!

7583924160_IMG_5007.jpg

正にぶっちぎり。
他の子がフレームに入りません!

これは速いわ。

周囲の保護者からも、
「おおーーーっ!」と声が挙がった。

思わず、ウルウル。

あんなに小さかった、
お兄ちゃんに引っ付き回してたこーちゃんが、
こんなかっこいいヒーローに!

ジジバカ結構。
さすがにぼくの孫!

というわけで、
少々涙ぐみながら、
空を見上げた河童でありました。

あっ!
晴れて来た!



年甲斐なし

こんばんは。

山口県は湯田温泉からお届けします。

数か月ぶりに、
そーちゃんこーちゃんと再会。

1年生のそーちゃんはしっかりお兄ちゃんらしくなってきたし、
明日運動会を控えたこーちゃんは運動神経がよく、
走ればいつもぶっちぎりなんだとか。

明日が楽しみだね。
心配された天気もバッチリみたい。

しっかり写真撮らせてもらいましょ。


思い出すなぁ。
チッペやサッペが保育園に通ってた頃、
ぼくはお父さん出場種目の花形だった。

若い先生たちをキャーキャー言わせたもんだぜ。

なんて、
昔の自慢話ほどみっともないものはないんだけど、
やっちゃうんだよね、これが。

トシだね。

旅の気分

朝7時に家を出て、
山口のそーこー宅を目指してます。

懐かしい尾道までは、
第一弾の旅とほぼ同じコース、
山陽線を西へ西へ。

山口までは乗り換え9回、
9時間56分の電車旅。

のはずが、
どこかで人身事故があったらしく、
ぼくが乗る予定だった電車は
運行中止に。

今は広島に入ってるんで、
事故の影響圏内から脱し、
予定より1本遅れて山口に向かってます。

今でざっと7時間。
あと4時間ほど。

1日に11時間の電車移動って、
前の旅でも経験してなかったけど、
いや、全然OKですわ。

閉塞された夜行バスより、
速すぎる新幹線より、
ずっといいですよ。

ラーメン女子博に思う

元同僚の若手たちに誘われて、
長居公園でやっている、
「ラーメン女子博」というイベントに行ってきた。



もちろん、男性の入場可なので行ったんだけど、
10店舗ほど並んだ日本各地のラーメン屋の、
行列に並んで、1杯900円もして、
缶ビールも1本500円というぼったくりで、

ま、持ち込み自由だったから
近所のコンビニで若手がビール買ってきたけど、
貧乏旅してきたぼくの観点からすると、
こういうイベントはどうもなぁ・・・・。


大体、何が「女子博」なの?

若い女子はひとりでラーメン屋に入りにくいそうだし、
会場には女性専用「車両」もあったけど、
どう見ても、ただのぼったくりラーメンイベントだ。

多分、
「女子博」って銘打ったら、
男が寄ってくるってことなんだろうなぁと、
ぼくは思った。

せっかくだからそれぞれ違うラーメンを食べるし、
それだと並ぶ列の長さも違うから、
みんなが揃って食べることも難しい。

全く下らない。

ええトシしてるから文句は言わなかったけど、
雰囲気を察した若手連中に、
「ま、イベント料ですよ」って、
いさめられるような始末だった。

それにしても、

年寄り臭いが、
ぼくの隣に座ったのは高校生カップル。

ざけんじゃねぇ!

高校生の分際で、
こんなぼったくりイベントのデートって、
そんなこといいのか!

ふたりで最低1800円、
しかも食べるだけだから10分で立ち去った。
ふたり、違う列に並んで?

ぼくのようなしみったれたオヤジには、
全く理解のできないデートなのだった。


ラーメンだけに腹はふくれたけど、
結局は、
若手たちもそれだけじゃあきたらず、
もう一軒行こうと言うことになる。

ありきたりな飲み屋に入って
燗酒呑みながら、
やっぱりこっちの方がいいわぁ、

って、
あくまでオヤジはオヤジなのであった。

ラーメン女子博、二度と行かないよ。

でもホント、
日本人って、
並ぶのと流されるのが好きなんだね。

次の選挙の結果も、
大山鳴動してる風だけど、
だいたい見えたわ。

肥薩のみち

司馬遼太郎の
「街道をゆく3 肥薩のみち ほか」を読了した。

「街道をゆく」は3冊目だが、
この「肥薩のみち」、
つまり熊本、鹿児島編は、
とりわけ面白かった。

もう45年も前に書かれた文章だが、
今の日本の政治や社会状況への、
鋭い示唆や指摘にもなっている。

ただ、
残念だったと言おうか、
逆にうれしかったと言おうか、
司馬は八代を歩いているのに、
河童には出会っていなかった。

うむ、
司馬が遭遇することのなかった河童伝説に、
ぼくは出会ったのだ。

でも、九千匹もの河童が渡来したという、
あの河童伝説に司馬が出会っていたら、
一体どんな解釈をしたのか、
読んでみたかった気もする。


お金もあり、
出版社が費用を負担する司馬の大名旅行と、
ぼくの貧乏旅とでは全くあり方も違うんだけど、
それでも学ぶところが多い。

あと40冊、
いつか読破できるかな?

偶然は楽しい!

佐伯さんのことがあったので、
書くの忘れてた。

今夜カッペが用意してくれた晩ご飯は、

「今日は仕事で遅くなったから」と、
まぁ、めったに出ることのないメニュー、

Y家の冷凍牛丼だったぁ!

数学はとっても苦手だけど、
ぼくが外で牛丼を食べる確率と、
我が家の晩御飯に牛丼が出る確率とをかけ合わせたら、
これはおそらく1万とか10万日に1回、
いやそれ以上にあり得ない確率だったろうと思う。

人生初だし、恐らく死ぬまでもうないだろうから、
限りなくゼロに近い確率だよね。

ぼくは嬉しくて、
人生初の2食連続牛丼を、
とっても堪能したのであった。

どうせなら明日の朝も、
牛丼することにやぶさかではないんだぞ!

ヒロシマに年はないんよ

夕刊で、
佐伯敏子さんの訃報に接した。

ヒロシマの被爆者のひとりだが、
独自の語り部活動を続けた人で、
「ヒロシマに年はないんよ」という語りが、
大阪では教材化されていた。

何十年の時を経、
どれだけ街が復興しようと、
全ての核兵器がなくなるまで、
ヒロシマはあの日のまま年をとらないのだという、
佐伯さんのメッセージだった。

お元気なころは子どもたちに語るため、
大阪にもよく足を運ばれた。

ぼくは何度もお話をうかがったけれど、
大阪でしかお目にかかったことがなかった。

こんな裏話を書いていいのかどうか、
ヒロシマの語り部仲間では、
「泣きの佐伯」と異名をとるほど、
いつも感情をストレートに込めた語りをされる方だった。


かつてのぼくに、
色濃く影響を与えてくださった語り部さんたちが、
佐伯さんを最後に、
全て寂席に入られてしまった。

でも、
ヒロシマは年をとらないという、
佐伯さんのメッセージは、
いつまでもぼくたちの心に遺り続ける。

いや、
それを忘れることのできる世界を、
ぼくたちは佐伯さんに託されたのだ。


同じ新聞に、
柏崎刈羽原発再開の記事が載っていた。

あの東電に、
また原発を任せようと言うのか?!

核の傘の下に入り、
核の脅威を政局の道具にするような今の為政者には、
何も望むことができない。

私たちの手で、
何とかしなければ。

佐伯さんがずっと思っておられた、
子どもたちのために。


お疲れ様でした。

安らかにお眠りください。
過ちは二度と繰り返しませんから。

合掌。


ブリューゲルの神秘

ブリューゲルを観たからか、
バベルの塔のせいか、
美術館を出たら無性に牛丼が食べたくなった。

そんな風になることなんてまずないし、
前に牛丼屋に入ったのって、

確か5~6年かもっと前か、
ヒメと呑んでて終電なくし、
カラオケで一夜を共にした翌朝。

ヒメが突然、牛丼食べたいです!って、
夜明けの牛丼屋で、
1杯の牛丼を分け合ったっけ。

それ以来かなぁ?
61年間でも数回のことだと思う。

それなのに、
今日は激しく食べたかった。
牛丼以外考えられなかった。


国立美術館を出て淀屋橋まで歩き、
さらに船場まで歩いて、
やっとM屋見つけた。

290円、味噌汁付きの至福。

ブリューゲルの一体何が牛丼を呼んだんだろう?
450年前に亡くなった彼には、
想像もつかない食物だろうに。

それにしても、
もう2時近かったのに、
牛丼屋さん満員。
あとからあとから客が入ってくる。

恐ろしいことに、
みんなブリューゲル展のチラシを持っていた。

なんてことはある訳なかったけど。


バベルの塔

国立美術館まで、
バベルの塔展観に行ってきた。

旅から帰ったらカッペとふたりで行こうと、
密かに思ってたら、
旅に行ってる間にカッペに先を越されてた。

ブリューゲルって、
今まで観たことないと思うけど、
カッペが買ってきた分厚い公式ガイドブックを、
昨日熟読したので、
もうブリューゲル評論家になっている。


平日の開館直後を狙って行ったけど、
既に長い行列ができていた。

1500円かぁ。
これは最低2時間は滞在して、
1時間あたり750円にはせなあかんな。

芸術性が低く、ケチなぼくはそう決意した。

で、入館後、ぼくは一直線に、
最終展示であるバベルの塔を目指した。

正解!

並ばずに、
「前に進んでください」と言われることもなく、
存分にバベルの塔を観た。

IMG_5319.jpg

60センチ×75センチの小さな絵なのに、
何と1400人もの人が描き込まれてるんだよ。

それだけでも驚愕だよね。

ブリューゲルの絵って、
油断ならない。

絵の中に仕掛けや寓意がいっぱい潜んでるから、
隅々まで克明に凝視しなければならない。

バベルの塔から最初の展示までさかのぼっていき、
もう一度バベルの塔まで戻ったとき、
そこには3~40分待ちの列ができていて、
前へ前へと急かされていた。

作戦は大当たりだったぁ。


バベルの塔展は15日まで。
まだの方は一見の価値ありですよ。

これからという方には、
ぼくと同じ作戦をお奨めします!

気が付いたら3時間超えてた。

1時間当たり500円以下になり、
そのことにも大いに満足して帰ってきたのでありました。


破損はしんどい 後編

Apple care に電話した。

そんなに待たされることはなかったけど、
事情を説明したら、

もう手元にない壊れた携帯のSUICAデータが
JRのサーバーに残ったままなので、
それを削除してもらわないと、
新しい携帯に移行できないと言う。

それはApple側ではどうしようもないのだと、
PCを使ったリモートサポートで、
30分以上いろいろやった末の結果だった。

仕方ない。
教えてもらったJRの問い合わせ窓口に電話した。

20分以上待たされて、
ようやく出て来たオペレーターさん、
「iPhone7のご相談は別のお電話番号になります」

はぁ・・・・。

そこに電話したら、
何とつながりもしない。
話し中って・・・・。

ぼくは本を読みながら、
ひたすら、
リダイアル、終了、リダイアル、終了・・・・。

15分以上それを繰り返して、
ようやく呼び出し音。

やっとつながったけど、
そこからオペレーターにつながるまで、
また30分以上待たされて・・・・


最終的には、
「こちらのサーバー記録を操作して、
 明朝5時以降はSUICAを使えるようにしておきます」


ここまで3時間以上かかったんじゃないかなぁ。

あーしんど・・・・。


それにしても、
ぼくが今日やったこと、
PCと家電がなかったら、
そして何より無職じゃないと、
絶対できないよぉ。

こんなんでいいのか!?

特にJR!

ICカードで新幹線に乗れるようになったとか、
それ便利かも知らんけど、
その前に
「オペレーターをふやしてお待ちしております」
ことの方が大事じゃないのか!!!



破損はしんどい 中編

めでたしめでし。
iPhoneなもんで、
帰ってからPCにとっておいたバックアップから復元。

初めての作業だったので、
ちょっとドキドキしたが、
無事に個人設定やアプリも戻って、
めでたしめでたし、

じゃなかった!

歩数計の記録が、
昨日は7千止まり。
今日なんか300歩しか!

そうだよね、
バックアップをとった時点の歩数までしか、
復元してくれないのだ。

昨日も今日も、
壊れた携帯ではちゃんと1万超えてたから、
別にいいんだけどさ、
歩数計の記録が2日間1万切ってるって、
ちょっと不愉快だよねぇ。

でも、それはいい。

よくないのはSUICAだった。

ぼくはアップルペイで携帯にSUICAを入れているが、
そのSUICAが使用不能になっている!

旅先でチャージしたから、
まだ4000円以上残ってたはずだ。

これは捨てておけん!



破損は疲れる 前編

旅の途中、
蔵王でアクシデントがあり、
携帯を破損した。

幸い使うことはできたんだけど、
ディスプレイが割れちゃったのね。

あぁ、
待ち受けプリンちゃんの可愛いお顔にヒビが!

ということで、
昨日、ショップに行った。

補償料を支払って、
新しいのと交換である。

でも自分で補償センターに電話して、
新しいのを送ってもらわなければならないとのこと。

面倒だが、仕方がない。

昨日、昼前に電話をしたら、
今朝、9時半ごろには早くも届いた。

おぉ、お早いお着きだ。

すぐに新旧ふたつの携帯を持って、
ショップに行ったら、
なんと、閉まってるじゃないか!

って、時計見たら10時前。
これは勇み足、
お早いお着き過ぎた。

開店と同時に一番目の客になり、
データ移行をしてもらい、
新しい携帯受け取って帰ってきた。

プリンちゃんに、満面の笑みが戻った!

よかったよかった。

でも、ここからが大変なのだった。

議席

ぼくが留守をしている間に、
政界は大騒ぎになってるね。

国難突破のために解散だって?

ぼくにはあんたが国難に思えるぞ。

ま、与党にせよ、
ブームに乗ってる人にせよ、
沈みかけの船に乗ってる人にせよ、

誰ひとり、
国民の方を向いてる人はいないように見えるぞ。

テレビをつけるのイヤになっちゃうよ。

あなたがたにとって大切なものは、
一体、何?

君の名は? その4

そのことは全く記憶にないが、
ぼくが赤ちゃんサッペの写真を同封したという手紙を見つけて、
智子はぼくを探してくれた。

そしてぼくを見つけたのが、
そのサッペと、
そしてその娘であるプリンちゃんとの、
旅の途上だった。

何か、とっても素敵な偶然だよね。

彼女は今、
長崎の佐世保なのだそうだ。

3年生を終えたあと、
何年生かのときに、
転校したことも記憶にあったが、
その転校以来ずっと長崎なのだそうだ。


ところで今月7日、
孫のこーちゃんの運動会の応援に、
山口まで行くことになっている。

今回はおとなしく、
直接行って直接帰って来ようかと思ってたけど・・・・

ふと調べてみたら、
こーちゃんの住む街から佐世保まで、
特急料金を払えば3時間余り、
お得意(?)の、
各停とバス旅をしても5時間半余り。

38年前に出会った懐かしい少女に、
立派な母親になった智子に、
会ってみたい・・・・。

またちょっと、
旅の虫が騒ぎ始めたかもしれない。

君の名は? その3

「新任のときだったんですね。
 毎日の色んな刺激が心地よくて、
 先生の授業や宿題に夢中でした。
 お楽しみ会も、バンジョーをさわらせていただいたのも。

 私と同じように、
 先生を慕う生徒がいっぱいらっしゃるでしょう」

あれま?

彼女がぼくを好いてくれていることはわかってたけど、
宿題までぇ?

当時を思い出すと、
恥ずかしいくらいに青かったんだけど、
智子はぼくに書くことの楽しさを教えてもらったと言う。

で、実家に帰ったとき、
幼い息子さんにも書く楽しさをと、
自分の絵日記などを見せていたら、
ぼくからの手紙を発見したのだとか。

そこにはまだ赤ちゃんだった、
サッペの写真も入っていたのだとか。

「それを見て、どうしても先生のお名前が恋しくなり、
 FBで探してしまいました。
 こんな便利な時代に感謝です。
 お返事いただけるなんて、
 嘘みたい~!!」

彼女は今も、
背は低いそうだった。

君の名は? その2

翌日。

「先生~ッ!!
 感激致しました。
 名前まで覚えていただいていたなんて、
 ありがとうございます!
 そうです、南です。
 本当に長い間ご無沙汰しておりました。

 河童先生は私の中では忘れるはずもなく、
 あの頃に育んでいただいた記憶は鮮明です。
 何もかも。
 今、感激していて泣けそうです」

やっぱり智子だったんだぁ!
よかった!

ま、確信はあったけど、
もし間違ってたら悪いもんねぇ。


38年前、
8歳のときに出会った智子は、
眼鏡をかけた身体の小さな女の子で、
とっても真面目な頑張り屋さんだった。

全ての子どもたちのことを覚えている、
なんて言う自信はないけど、

彼女のことはよく覚えている。

ぼくはそんなことと、
自分が退職したこととを書いて、
最後に付け足した。

「小さかった身体は大きくなりましたか?」



 
 

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